コラム
『人を動かすスキルを得るために必要なこと』
2025年12月10日
林田 康裕
『人を動かすことは難しい』という言葉を、私たちは何度も耳にしてきました。
複雑化した現代社会では、なおさらそう感じる場面が増えています。価値観は多様化し、人によって大切にしているものも、ものの見方も、働く意味も違う。指示した通りに人が動いてくれる時代では、もうありません。
ところが、私たちはつい相手を『動かそう』とします。
指示や説得によって、人は理解し、納得し、そして行動してくれるはずだ――そんな前提を置きたくなります。
しかし実際は、こちらの意図が相手に届かなかったり、思ったように伝わらなかったりする場面がほとんどです。
では、なぜ人は動かないのでしょうか。
理由のひとつは、相手の『今の状態』を正しく捉えられていないからです。
人はそれぞれ、置かれた状況も、感じている不安も、抱えている課題も違います。
『いま何に悩んでいるのか』『何が見えていないのか』『どんな未来を望んでいるのか』。
こうした“現在地”を正確に理解しないまま、正論や助言を差し出しても、行動にはつながりません。
指導とは、本来“相手の現在地”と“望む未来”を結ぶプロセスです。
にもかかわらず、私たちは現在地を飛ばして、未来に向けた行動だけを示してしまう。
これでは、相手が動けるはずがありません。
では、どうすればよいのか。
鍵になるのは『問い』です。
問いかけることで、相手自身が自分の状況を言語化し、考えを整理し、気づきを得ていきます。
こちらが説明するのではなく、相手の内側から答えが生まれるのです。
例えば、
『いま一番困っていることは何ですか?』
『本当はどうしたいと思っていますか?』
『どうなったら理想だと言えますか?』
こうした問いによって、相手は考え、言葉を探し、自分の価値観を掘り下げ始めます。
すると自然に、『次に何をすればいいか』が自分の中から立ち上がってくるのです。
このプロセスこそが、人を動かす力の“本質”です。
相手の主体性を引き出し、自ら選んで動ける状態をつくる。
そのためには、こちらの“聞く姿勢”が欠かせません。
ところが現代は、情報量もスピードも桁違いに増えています。
SNSやニュース、メール、チャットなど、次々と情報が流れ込む中で、私たちの思考は散りやすく、注意は奪われやすくなっています。
この環境では、相手の言葉を深く聞くことが難しくなっています。
だからこそ、『丁寧に聞く』ことがいっそう重要なのです。
相手の言葉の裏にある“本当の意味”を探る。
表面的な発言の奥にある“価値観”を感じ取る。
たった一言の『忙しいんです』の中にも、背景には「成果が出ていない不安」や「優先順位の迷い」が隠れているかもしれない。
相手の言葉を、そのままの言葉として受け取るのではなく、背景にある文脈ごと理解しようとする姿勢。
これが、人を動かす力の基盤になります。
聞くことは、相手を尊重する行為です。
そして尊重された人は、自ら動こうとします。
人は外から押された時ではなく、自分が『動きたい』と思った時に、本当に動きます。
だからこそ、いま求められるのは『人を動かすスキル』ではなく、『相手の内側から動きが生まれる環境をつくるスキル』と言えるのかもしれません。
相手の現在地を丁寧に理解し、問いかけ、深く聴く。
この一見地味なプロセスに、人を動かす力の核心があります。
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